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洋服記念日に T様 その2
1951(昭和26)年~1952(昭和27)年頃、ニコライ堂をバックに。
tsama 2
後列右端が、T様です。
皆さん、大学の卒業証書を手にされています。

写真の中の、映画俳優のようなT様は
今もとても素敵です。
思わず、秘訣を伺うと、快く教えて下さいました。
その、六十数年されているという健康法を
ここ二ヵ月半続けています。

まだまだ、始めたばかりですので
ずっと続けていきたいです。


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洋服記念日に T様 その1
写真は1951(昭和26)年頃の、T様です。
tsama 1
日大理工学部をご卒業され、新社会人になる際に
同級生のS様のご紹介で、鶴谷洋服店で初めて背広を仕立てて下さいました。
改めて、T様、有難うございます。

就職後の勤務先も千代田区内、と近かったため、
神保町界隈との付き合いも70年以上・・・。
米寿を迎えられた今でも、
散策は神保町周辺へいらっしゃるそうです。

テーラーではなくなった私共の店にも、時々いらして下さり
T様にとっては懐かしい、
私共にしたら新鮮なお話をして下さいます。


伯父の写真
1954(昭和29)年頃、鶴谷光明 32歳頃。
mituaki rojiのコピー

2015(平成27)年、同じ場所にて。
IMG_3160a.jpg
61年が経ちましたが、長い様な、短い様な
変わった様な、変わらない様な…。


雪かき
また雪が降りました。
2階の窓からの眺めです。
IMG_1640.jpg
そしてこちらは60年前、
昭和29年頃の、同じ窓からの雪景色です。
yukigeshiki.jpg
正面に見えるのは、「小坂質店」。
ダイヤ、ひすい、貴金属、和服など、
質草品目のメニュー看板が見えます。
路地を進むと、左側には「川頭春陽堂」。
「新聞 雑誌 大版元」とあります。
積雪は10cm以上ありそうです。
当時30代の伯父は、雪かきに精を出した事でしょう。
その時に使ったかもしれない、角スコップ。
IMG_1643.jpg
平成26年の雪かきも、この角スコップを使います。


神田祭再開、変わらぬ営み
神田祭は太平洋戦争のため、一時中止されました。
終戦翌年の1946(昭和21)年には、神田区主催の
復興祭という祭りが行われ、その時に伯母も神輿をかついだそうです。
戦後すぐだから男が少なくて、神輿の担ぎ手が足りず
「女もかつげー!って言われて、かついだわよー!。」との事。
みんな痩せていて、力も出なくて、ヨロヨロかついだ、とか…

そしていよいよ1952(昭和27)年、神田祭の再開です。
渡御祭を神幸祭と名称変更して、鳳輦(ほうれん)巡行、
町神輿連合宮入が行われました。

ずっと神田を離れずに、戦争を生き延びた伯父が、
この翌年に「アイレスフレックス」というカメラを購入しました。
購入店は、「駿河台下・神田無三四堂」とあります。
IMG_10371.jpg
平和条約締結、祭礼再開、町の復興、経済成長…
写真機購入は、自然な流れだったのでしょう。

祭りを撮影した写真が残っております。
恐らく、1954(昭和29)年のものと思われます。
s27matsuri uma
神幸祭の行列。馬に乗る神職。あいにくの雨です。
当時の写真には、高い確率で洋服店が背景に写っています。
業界の好調ぶりがうかがえます。

s27matsuri ushi
靖国通りで牛が引いているのは、一の宮鳳輦でしょうか。
後方に見えるのは、ランチョン、共栄堂などの、
三軒長屋です。

s27matsuri mikoshi
神輿。すずらん通り。現在のマザーズ前あたりです。

IMG_09921.jpg
そして今年の神輿。町内巡回も大詰め。

変わらぬ営み。
言葉にはとてもできない、
美しさでした。

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