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元洋服店が観た『少年H』 その3
盛夫は、40歳位キャリア約25年、仕立屋としても
脂ののった頃に、戦争で洋服作りを中断しなければ
なりませんでした。
終戦後、しばらくは茫然自失だった盛夫が、
空襲で壊れたミシンを直して、再起の手始めに、
妻敏子の洋服を作る所で、映画は終わります。
元洋服店としては、その後の戦後復興から
経済成長期の盛夫が、どのように過ごしたかも、
とても気になるところです。

一方鶴谷洋服店は、福太郎が60歳前後、
光明が20歳前後。戦時中光明は、縫製業という職業と、
場所柄もあってか、軍関係の縫製要員として、
借り出されました。国民服を作ることもあったようです。
1945(昭和20)年の空襲で三崎町を焼け出されて、
現在の場所に移りました。
大八車にミシンを積んで逃げた、と聞きます。

共通点を探せばたくさんありますが、それは何も
鶴谷洋服店に限ったことではありません。
一時は日本中にたくさんあったそういう洋服店が、
今も一つ一つ消えていきつつある事に、
諸行無常を感じずにおれません。
またそれだけに、現在も営業を続けていらっしゃる
洋服店の方々には、心より敬服いたします。
IMG_1141.jpg
エンドロールの末席に小さく鶴谷洋服店。
墓前に報告します。

9月23日は、伯父・光明の命日です。

おわり


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