羊について、その5
テーラーの鶴谷洋服店の店内を思い出せば、
ぐるりと紳士服地が並べられ、見本の背広が数点、
人体(トルソー)に着せてありました。
その中にポツン、ポツンと羊が配されていたのが印象的でした。

子供の頃、紳士服地=羅紗=羊毛の毛織物という事を知らずに、
(伯父さんは未年なのかな?)
と、思った事もありました。
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因みに、伯父の鶴谷光明は
1922(大正11)年生まれの戌年です。


羊について、その4
テーラーの頃からの展示物には
もう一頭、金属製の羊もいます。
体重3.5kg。
やはり数十年、ショーウィンドウ越しに
神保町の通りを見続けています。
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羊について、その3
鶴谷洋服店がテーラーの頃、
ショーウィンドウに紳士服と共に展示していた、
陶器の羊です。
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今も、通りを見続けています。


羊について、その2
かつて鶴谷洋服店で使用していた織ネームです。
仕立て上がった紳士服に縫い付ける物です。

二代目 鶴谷福太郎は、苗字の「鶴」をデザインに
取り入れていました。
ネーム鶴茶

1967(昭和42)年、鶴谷洋服店は、福太郎他界により
三代目 光明に引き継がれ、織ネームも「羊」を配した
新しいデザインになりました。
織ネーム羊2

因みに、この年も「未年」でした。


元洋服店が観た『少年H』 その3
盛夫は、40歳位キャリア約25年、仕立屋としても
脂ののった頃に、戦争で洋服作りを中断しなければ
なりませんでした。
終戦後、しばらくは茫然自失だった盛夫が、
空襲で壊れたミシンを直して、再起の手始めに、
妻敏子の洋服を作る所で、映画は終わります。
元洋服店としては、その後の戦後復興から
経済成長期の盛夫が、どのように過ごしたかも、
とても気になるところです。

一方鶴谷洋服店は、福太郎が60歳前後、
光明が20歳前後。戦時中光明は、縫製業という職業と、
場所柄もあってか、軍関係の縫製要員として、
借り出されました。国民服を作ることもあったようです。
1945(昭和20)年の空襲で三崎町を焼け出されて、
現在の場所に移りました。
大八車にミシンを積んで逃げた、と聞きます。

共通点を探せばたくさんありますが、それは何も
鶴谷洋服店に限ったことではありません。
一時は日本中にたくさんあったそういう洋服店が、
今も一つ一つ消えていきつつある事に、
諸行無常を感じずにおれません。
またそれだけに、現在も営業を続けていらっしゃる
洋服店の方々には、心より敬服いたします。
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エンドロールの末席に小さく鶴谷洋服店。
墓前に報告します。

9月23日は、伯父・光明の命日です。

おわり